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東京高等裁判所 昭和55年(行ケ)160号 判決

原告 森田好夫

被告 特許庁長官

主文

特許庁が昭和四九年審判第八〇七号事件について昭和五五年四月二四日にした審決を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告は、主文同旨の判決を求め、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、特許庁に対し、昭和四五年一二月二八日名称を「人命安全防災システム」とする発明(以下「本願発明」という。)について特許出願をしたが、昭和四八年一二月二五日拒絶査定を受けたので、昭和四九年二月二〇日審判を請求し、特許庁昭和四九年審判第八〇七号事件として審理され、昭和五一年七月八日特許出願公告がされたが、特許異議の申立があり、昭和五五年四月二四日「本件審判の請求は成り立たない。」との審決がされ、右審決の謄本は、同年四月三〇日原告に送達された。

二  本願発明の要旨

「非常口に設けられた錠手段を有する非常扉と、該非常扉の錠手段の鎖錠を許容し電気信号の適用により鎖錠状態にある錠手段を開錠する解錠手段と、上記非常口のある空間を他の空間から隔離するための位置に設けられている防火扉と、常時は閉鎖され電気信号の適用により上記空間に発生した煙等の危険物質を建物の外方に排除するため開放される排煙窓手段と、常時は防火扉を開放状態に保持し上記解錠手段が開錠のための電気信号を受けたとき電気信号の適用により該防火扉の保持を離す係止手段と、火事の発生による煙等を検知し上記解錠手段、排煙手段及び係止手段に適用するための電気信号を発生する感知手段と、上記錠手段が開錠された際操作され電気信号を発生するスイツチと、該スイツチからの電気信号により動作し人を上記非常口へ誘導するため断続音と点滅光を発する標示灯手段を含む人命安全防災システム。」

三  審決の理由の要点

1  本願発明の要旨は前項に記載のとおりである。

2  次に、建設省住宅局建築指導課監修(挿入式)「耐火 防火構造・材料等便覧」(以下単に「便覧」という。)の追録No.1(日本建築センター・新日本法規出版株式会社発行、発行日昭和四五年八月一日)の九九〇―七頁から九九〇―一七頁(以下これを「引用例」という。)には、本願発明の構成要件のすべてを備えた実質上同一の人命安全防災システムの技術的事項が記載されている。

3  ところで、請求人(原告)は、引用例に記載の技術的事項が便覧に掲載されるに至つたのは、請求人の意に反してされたものである旨主張するので、この点について検討する。

拒絶理由の通知に対する請求人の意見書、異議申立人の提出した評定申込書写によると、請求人は、名称を「YM式オートアンロツク」とする物件について、建築基準法第三八条の規定に基づく認定を受けた方が、実際の販売活動上都合がよいことから財団法人日本建築センター(以下「日本建築センター」という。)の評定を受くべく、モーリス消防工業株式会社(以下「モーリス消防工業」という。)取締役営業部長石井昇に指示して、右センターの評定の察査を受けるための申込手続を行なわせたこと、石井昇は、その際、右評定を受けるための申込書の提出資料公表の諾否を問う項の諾に丸印を付けて、これを提出し、その結果、引用例に記載の技術的事項が便覧に掲載されるに至つたことが認められ、また、便覧を監修した建設省住宅局建築指導課の課長に対する調査結果によると、評定の申込時に公表諾否の項が諾とされている場合には、改めて、公表の承諾を求めることをしないとされている。

そうすると、引用例に記載された技術的事項は、請求人の意に反して公表されたものではない。

4  よつて、本願発明は、特許法第二九条第三号の規定に該当し、特許を受けることができない。

四  審決の取消事由

本願発明が、引用例に記載された技術的事項と同旨のものであることは認める。しかし、引用例に記載された技術的事項、したがつて、本願発明は、特許を受ける権利を有する原告の意に反して特許法第二九条第一項第三号の規定に該当するに至つたものであり、かつ、原告としては、その該当するに至つた日から六月以内に特許出願しているのであるから、同法第三〇条第二項の規定により上記第二九条第一項第三号の規定に該当するに至らなかつたものとみなされるべきである。

しかるに、審決は、引用例に記載された技術的事項が、請求人の意に反して公表されたものではないと誤つて認定したうえ、本願発明は特許を受けことができないとしたものであるから、取消されるべきである。

引用例に記載された技術的事項が、便覧の追録の頒布という形式により、原告の意に反してされるに至つた点を以下に詳述する。

1  まず、本願発明の内容が、引用例(便覧の追録No.1)に掲載されるに至るまでの経緯について述べると次のとおりである。

原告は、昭和四四年ころ、本願発明の基本的内容を発明したので、これをモーリス消防工業に実施させようとしていた。ところが、本願発明を実施するためには、予め実施品につき「予想しない特殊の建築材料又は構造方法を用いる建築物」として建築基準法第三八条の規定に基づく建設大臣の認定を受ける必要があつたが、この認定手続は、その前提として日本建築センターの評定委員会の性能評定審査を受け、その評定書を添付して特定行政庁を経由して建設大臣に認定申請する仕組みになつていた。そこで、モーリス消防工業が日本建設センターに対しそのための性能評定申請をし、これに対し、日本建築センターがその性能を評価して評定書を交付した。その評定書(甲第五号証)の内容が日本建築センターの手によつて引用例に掲載されてしまつたのである。

2  ところで、右のとおり、モーリス消防工業による日本建築センターに対する評定審査を受けるための申込みに際し、その申込書の提出資料公表の諾否欄の諾に丸印をつけたのは、以下に詳述するとおり、もともと企業内で社是及び就業規則により秘密保持義務を課せられている同社取締役業務部長(当時)石井昇が会社にも原告にも無断でしたものである。

原告は、当時モーリス消防工業の代表取締役をしていたが、本件発明の特許出願の前後を通じて数多くの発明、考案をし、特許権等も有しており、これらの発明等をモーリス消防工業に実施させていた。一般に、特許出願前の発明については、これを秘密にしておくのが当然であり、原告も、そのことは充分認識していたので、特許出願前は秘密を保持するよう従業員に命じ、就業規則にもそのことを規定して、従業員に秘密保持義務を負わせていた。

原告は、本願発明の基本的内容を発明した昭和四四年ころ、これをモーリス消防工業に実施させようとしたが、当時消防庁から同社に就職したばかりであつた石井昇の話によれば、本願発明は、建築基準法第三八条の規定に基づく認定を受けないと、実施しても実際の販売活動上支障が多いということであり、また、その認定をうけるためには、前記のとおり、日本建築センターの評定委員会の評定報告書を添付し、所轄行政庁を経由して建設大臣に申請する仕組になつているが、このような手続をとつても発明が公表されることはないということであり、かつ、このような認定は、申請してから早くて一年半か二年位はかかるのが常識であるので、早目に申請しておく必要がある、ということであつた。そこで、原告は、本願発明について特許出願準備中であつたが、モーリス消防工業が日本建築センターにYM式オートアンロツクについての評定の審査を申し込むのを認めたのである。

モーリス消防工業は、右の審査申込の手続をとるよう石井昇に指示し、石井昇は、審査申込書を事務員に作成させて、同会社の代表取締役であつた原告に捺印を求めたが、その際、審査申込書の提出資料公表の諾否欄には何の記入もなく、勿論、諾否の欄に丸印も付されていなかつた。原告は、これを提出資料公表を承諾しない趣旨に解して印(同会社代表者印)を押したのである。

ところが、昭和四四年六月九日これを実際に日本建築センターの窓口に提出した事務員から、担当の石井昇に対し、「日本建築センターで、申込書の提出資料公表の諾否欄に記入するようにいわれた。」との報告があつたので、石井昇が確認したところ、「日本建築センターは、その性質上依頼者の秘密を厳守するものであつて、審査申込書の提出資料公表の諾否の項の諾に丸印が付されていても、実際に第三者が公表を求めてきた場合には、審査申込依頼者に連絡して、その都度承諾を求めることになつている。」ということであつたので、石井昇としては、本願発明の特許出願前に第三者から公表の申込があつたとき断ることもできるし、特許出願後は、機器取付図面、機器価格表等を公表した方が営業政策上有利である、と考えて、原告に承認を求めることなく、申込書の前記諾否欄に丸印をつけて提出してしまつた。

しかし、原告は、以上の事実について、石井昇からは、「申込書を日本建築センターに提出したが、日本建築センターでは、「この種の防災性能評定は、いまだ発足していないが、近く発足するので預つておく。」ということでした。」との報告を受けただけであつたので、石井昇により、右のとおり丸印がつけられたことは、全く知らなかつた(原告がそれを知つたのは、本件審判手続においてである。)。

原告は、申込書の前記諾否の項に丸印がつけられたことを知らないまま、その後、昭和四四年七月二三日、本州製紙会館において委員に対し、前記YM式オートアンロツクの性能につき説明するよう求められたが、その時の日本建築センター係員との打合せでも、「こうした説明をしても、委員会は建設省の下請審査機関であり、建築基準法第三八条の規定にいう予期せざる新技術の認定であるだけに、委員には守秘義務が当然課せられている上、公表の時は了解をとることになつているので、公表について心配はない。」ということであつた。その後、この説明会で説明した内容を書類にまとめるように、日本建築センターから求められ、提出したのが評定書(甲第五号証)の防災性能評定表とある部分であり、評定委員会はこの防災性能評定表を別紙としてそのまま認める形で、評定書を作成したのである。そして、この評定書の内容が引用例に掲載されたことにより、本願発明にかかる防災性能がすべて公表されることになつた。

3  仮に、石井昇が、前記提出資料公表の諾否欄に丸印を付したのは原告に無断でしたものである、との主張が認められないとしても、右提出資料の公表は、一般人に対し、しかも全面的にされるものではなく、極く限られた者に対し、かつ、限定された事項にとどまるものとされていたのである。

(一) まず日本建築センター内での取扱いとしては、公表諾に丸印をつけた場合でも、一般人に対する公表をしないことになつていた。

モーリス消防工業による評定申込の際、日本建築センターの受付係員が「公表諾に丸印をつけても、実際に第三者から公表を求められたときは、改めて確認をする。」といつたことは、前記のとおりであるが、日本建築センターの評定事務の実際の取扱いもそうなつていたのである。

これは、その後、昭和四八年に制度化された「評定資料閲覧規程」に顕著に表われている。すなわち、日本建築センター内には、昭和四二年ころから、各種技術情報を建築実務面に広く活用するとともに、建築各分野相互の情報交流の円滑をはかるために、情報交流会が設けられており、その会員には種々の特典が与えられていた。

ところで、昭和四八年に至り成立した規約によると、その会員には、特典として、「ビルデイングレターの無料配布」「BCJ性能評定シートの無料配布」「日本建築センター資料室の無料利用」ができるとされた。しかして、昭和四八年四月一四日制定の「日本建築センター資料室、利用に関する規定」によると、「閲覧者は、当センター情報交流会員、委員会委員、役職員のほか閲覧を希望する一般来訪者とする。」「閲覧資料とは、資料室に保管する図書資料(非公開資料を除く。)及び評定資料をいう。但し、評定資料の閲覧については、別に定める「日本建築センター評定資料閲覧規定」(昭和四八年一月一〇日制定)による。」とされ、さらに、昭和四八年一月一〇日制定の「日本建築センター評定資料閲覧規程」によれば、「評定資料の閲覧は、評定申込書を受理する際に、申込者の承諾を得たものについて行う。」となつている。これからすると、昭和四八年の時点に至つて、「閲覧」が評定申込書の「公表」を意味することとなつたことが明らかである。

ところが、この閲覧規程によると「閲覧可とされたものにつき閲覧をなし得る者は、評定申込者及び日本建築センター情報会員とする。」さらに、「閲覧は日本建築センターの所定の場所に限る。また、カメラ、ゼロツクス等による複写を禁ずる。」とされているのである。

このように、評定申込書の提出資料公表に諾を与えた場合でも、一般人はまつたく閲覧できず、閲覧を許される日本建築センターの情報交流会員でさえ、実は、この程度の情報しか受けられない仕組みになつていたのであるから、一般人に対し、しかも全面的公表となるような一般刊行物による公表は、評定申込書における「公表」の全く予定していないものというべきである。

(二) そうすると、当時、この評定申込書における「公表」の意味は何であつたかが問題となるが、これは、評定機関である日本建築センターが発行する機関紙「ビルデイングレター」に性能評定シートを掲載する趣旨であつた、と解する余地がある。すなわち、モーリス消防工業が、本件の評定申込をした当時(昭和四四年六月九日)は、いまだ、防災性能評定委員会も、これを運営するための防災性能評定要領も、制定されていなかつた。これらが実際に発足したのは、その後の昭和四四年九月九日付建設省住宅局建築指導課長より建築主務部長宛の通達によつてである。まして、引用例の便覧のような一般刊行物による公表等は、全く考慮外のことであつたのである。因みに、当時便覧は発行されていなかつたのであつて、これが発行されたのは評定申込の八ケ月後である。

したがつて、本件評定申込に対し、当時日本建築センターとしても、拠るべき基準がなく、その担当課長も、実際の公表の際には、改めて確認をするということで、評定申込を受理していたのである。事実、評定申込を実際にしたのは、昭和四四年六月九日であつたが、制度が未発足ということで、正式に受理されたのは、一か月半後の同年七月二三日であつた。

しかし、右評定申込当時、すでに、評定委員会とその運営のための性能評定要領の制定は、予定されており、そこでは、公表のことが問題とされるはずであつたから、モーリス消防工業による評定申込の際に、やがて制定されるべき性能評定要領における公表制度について、予めその諾否を求めたものと解されるのである。

この考えによると、初めての防災性能評定要領は、前記のとおり、昭和四四年九月九日付通達にみられるが、そこで公表の点は、「評定登録を行つた防災装置等について、その趣旨の普及徹底を図るため、評定登録を受けた者は、日本建築センターの防災装置コーナーにその見本を展示することとし、日本建築センターは、ビルデイングレターに性能評定シートを掲載する他、これを資料として、特定行政庁に配布するよう建設省に依頼する。」とされたのであるから、評定申込書における「公表」は、センターの機関紙である「ビルデイングレター」に、性能評定シートを掲載する趣旨であつたということになる。

ところで、性能評定シートの掲載は、提出資料の一部公表にすぎず、これだけでは、発明の全容は到底明らかにならないのである。なお、原告は、「ビルデイングレター」を精査したが、何故か今日まで本発明に関しては一片の掲載もない。

(三) このように、評定申込書における公表は、一般人に対し、しかも、全面的公表が予定されていたものではないのであるから、本願発明と同旨の内容が、引用例に全面的に掲載されるに至つたことが、原告の意に反したものであることは明らかである。

第三被告の答弁

一  請求の原因一ないし三の事実は認める。

二  本願発明が、原告の意に反して特許法第二九条第一項第三号の規定に該当するに至つたとの原告の主張は争う。

1(一)  原告は、日本建築センターでは、たとえ、審査申込書の提出資料公表の諾否の項の諾に丸印が付されていても、実際に第三者が公表を求めてきた場合には、審査申込依頼者に連絡してその都度承諾を求めることになつているとの趣旨の主張をするが、この点は、建設省住宅局建築指導課長の特許庁審判長宛の回答書(乙第一号証)からみて事実と相違する。

(二)  また、石井昇が、評定に関する手続のすべてを原告から委任されていた以上、同人の意思に反して公表の諾否の項の諾に丸印を押したものとはいえない。

2  原告の3の主張は、前掲乙第一号証の記載からみて事実と相違するものである。

第四証拠関係〈省略〉

理由

一  請求の原因一ないし三の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、審決の取消事由の有無について検討する。

1  成立に争いのない甲第一号証ないし第三号証、第五号証、第一五号証、乙第三号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第九号証、証人石井昇の証言及び原告本人尋問の結果とこれにより真正に成立したと認められる甲第一四号証並びに弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

「原告は、モーリス消防工業株式会社(後に、「株式会社モーリス」と商号を変更)の代表取締役であり、かねてより建築の防災等に関する発明、考案を数多く手がけ、これまでにその特許権又は実用新案権を数多く有しており、これら発明、考案の実施を主としてモーリス消防工業に行わせていた。ところで、原告は、昭和四四年五月ころ、本願発明にいう防災システムの基本構想をまとめ、これをそのころモーリス消防工業の営業部長石井昇に話した。石井昇は、かねて消防庁消防大学校の教授をしていたが、その直前である同年四月に同庁を退職し、同会社に就職した者であり、消防に関する知識が深く、本願発明にいう防災システムについての原告から受けた説明により、その発明が、特殊の建築材料又は構造方法に係るものであつて、これを建築物に使用するのには、建築基準法第三八条により建設大臣の認定を受けなければならないとされていることを承知していたので、原告にその旨を説明し、右発明を実用化するのには、右の認定を受けておくのが得策であることを進言し、原告も、これを容れ、ただ右認定を受けることのみを考え、これに関する手続を石井に依頼した。ところで、右の認定を受けるのには、建設省通達(昭和四〇年一二月一六日同省住指発第二〇〇号)により、まず日本建築センターの審査機関による技術的審査を受けたうえ、所轄の行政庁を経由して建設大臣にその旨を申請しなければならないとされているので、石井昇は、日本建築センターから「審査申込書」と題する申込用紙を貰い受け、これに後述のとおり、原告からモーリス消防工業の会社代表者である原告の記名押印を得て、昭和四四年六月九日ころ、右申込書を日本建築センターに提出し、右審査の申請を行つた。ところで、右申込用紙の「審査区分」、「依頼物件名称」、「添付図書等」、「連絡者」の各項には、石井昇の指示に基づいてモーリス消防工業の事務員が該当事項を記入したが、当時はまだ発明の内容が確定するまでには至つてはいなかつたほか、発明が防災システムにかかるもので単品ではないことなどから、その「材料・構造・構法の種類・大きさ」、「申込の目的」の各項は空欄とし、また、「提出資料公表の諾否」の項については、いずれとも記入しないままで、原告に提示し、原告がその依頼者(申込者)の欄に「モーリス消防工業株式会社取締役社長森田好夫」の印判と代表者印を押捺したうえ、同社事務員が、これを日本建築センターに提出した。ところが、右事務員が、右申込書を日本建築センターに提出する際に、「提出資料公表の諾否」の項に記入がなかつたことから、諾否いずれかに記入するよう指示されたため、石井昇に問い合わせたところ、石井は、このことはさほど重要なことではなく、当時同人としては、建設大臣の認定が得られるまでに一、二年という相当長期間を要するであろうと見込んでいた関係上、右提出資料の公表については、これを承諾しておいた方が、あるいは審査の手続が早く処理されるのではなかろうかとの単純な考えから、発明にかかる技術の公開の正確な意味も、右承諾がそのような公開に発展しうるとの十分な認識もないまま、承諾の旨を指示したので、右事務員が申込書に右指示どおり諾に丸印を付したうえ提出し、受理された。しかして、石井昇は、この点については、右のとおりさほど重要なこととは考えていなかつたので、原告には、ただ単に審査申込書を日本建築センターに提出した旨を報告しただけで、提出資料公表の諾否の項の諾に丸印を付した点については原告に伝えることをせず、その後昭和四九年六月には同社を退職した。一方、建設省住宅局建築指導課長から建築主務部長宛の「財団法人日本建築センター防災性能評定委員会の発足と今後の運営について」との通達(昭和四四年九月九日住指発第三六一号)により、右審査申込の手続の後約三か月して、日本建築センターに建築基準法に基づく評定委員会が設置され、同委員会は、モーリス消防工業からの前記申請に関し、二回にわたつて原告から口頭の説明を聴取し、さらにこれを書面にしたものの提出を求めたので、原告は、本願発明と同旨の内容を記載した書面を提出したところ、同委員会は、昭和四五年二月一八日付でそのころ、モーリス消防工業宛に、その申請に係る「自動解錠装置(防火戸排煙窓の開閉装置)YM式オートアンロツク」が防災・防犯上適切なものであることを認める旨の評定書を送付した。ところが、前記のとおり審査申込書の「提出資料公表の諾否」の項の諾に丸印が付されていたことから、原告から日本建築センターの評定委員会に提出された本願発明と同旨の内容を記載した前記文書の記載内容がそのまま同年八月一日発行の引用例(便覧追録No.1)に掲載されるに至つた。一方、原告は、同年一二月二八日特許庁に対し、本願発明について特許出願をし、昭和五一年七月八日特許出願公告がされた(この事実は当事者間に争いがない。)が、特許異議の申立があつて、拒絶理由中に引用例の技術が開示されていたことにより、代理人を通じて、前記の書面の記載事項がそのまま引用例に掲載された経緯を知るに至つた。」

以上認定の事実関係に徴すると、本願発明の内容が、原告の意思に反して、引用例に掲記されるに至つたものと認めるのが相当である。

2  もつとも、原告は、石井昇に対し、右審査申込を含む前記の建築基準法第三八条による認定の手続に関する事務を、特段に限定することなく一括依頼し、石井昇はこれに基づいて、右審査申込の事務を行なつたものであり、殊に特許発明の出願前に発明の内容が外部に漏れた場合には、発明者が相応の不利益を被る虞れのあることを了知している原告としては、このような点に精通していないと思われる石井昇から、前記認定のとおり審査申込書に捺印を求められた際に、同書面には、提出資料公表の諾否の項が設けられていたのであるから、たとえ公表を求められても、これを承諾してはならないなど明確な指示をすべきところ、これをすることなく記名捺印をした以上、前記認定のとおりの経緯で公表諾否の項の諾に丸印が付されるにいたつたのは、原告の意思に基づいたものとの疑いを差し挾むものがないではないかもしれない。

しかし、前掲甲第二号証、第九号証、乙第三号証、証人石井昇の証言及び原告本人尋問の結果によると、原告にとつては、前記の評定の申請を行うことは全く初めてのことであり、また、建築基準法第三八条による建設大臣の認定手続に関して行われる防災性能評定委員会なるものも、右申請の当時は未だ発足するに至つてはおらず、したがつてまた、その審査の対象とされた資料が便覧のような刊行物としてかねてから公にされていたわけのものでないことからすると、原告にとつてこの資料の公表の諾否がどのような意味をもつにいたるかについて深く配慮しなかつたとしても、また、やむをえないことであり、まして、原告が当時公表を承諾した場合には発明の内容が直ちに便覧のような刊行物に掲載されることを予想していたものとは到底考えられないこと、原告は、前記のとおりそれまで数多くの発明、考案を手がけ、特許、実用新案の登録出願をしており、出願前にこれら発明や考案の内容が外部に知れることによつて被る出願人の不利益については充分承知していたことは推認するに難くなく、それゆえにこそ、そのような不利益をおそれた原告は、原告本人尋問の結果により認められるとおり、現に日本建築センター防災性能評定委員会の要請により本願発明と同旨の内容を口頭で説明する際にも、右内容が外部に漏れるおそれがないかどうかについて疑念を抱き、係員に念を押すなどして、右の点について配慮していたほどであること、本件証拠を検討しても、本願発明の発明者である原告又はその発明の実施予定者であり審査申込者であるモーリス消防工業が、本願発明の内容がその出願を待たずして公表されることによつて受くべき利益があつたものとは考えられないこと、以上の諸点及び弁論に現われた諸般の事情を併せ考えると、原告が石井昇に対し、審査申込の事務を依頼するに当り、提出資料の公表などが軽々しく行われてはならない旨格別の注意を喚起しなかつた点は軽卒のそしりを免れないとしても、このようなことから直ちに、本願発明の内容が引用例(便覧追録No.1)に掲載公表されたことが、原告の意思に反してされたものでないとはいえないのであり、本件証拠を検討しても、他に、本願発明の内容が原告の意思に反して引用例に掲記されるに至つたとの前認定を左右するに足りる証拠はない。

3  そうすると、本願発明について特許法第三〇条第二項の適用を受けることができないとした審決の認定、判断は誤つており、審決は違法として取消されるべきものである。

三  よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条及び民事訴訟法第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 荒木秀一 藤井俊彦 清野寛甫)

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